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元気の子

Author:元気の子
多くの介護関係者が何となく思っていることを、あたかも理論的に言語化するのが好きですが、エビデンスはほとんどないのでご了承ください。

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元気の家では、よく

「考える介護」という言葉を使います。

「考える介護」という言葉が指しているものは、

しいて言うなら、「肉体労働としての介護」に対して、それを否定するものです。




では「肉体労働としての介護」とはどういうものかと言いますと、

それは、単におむつを替える、単に食事の介助をする、単に入浴の介助をする、

といった作業的な介護を日々淡々と繰り返すことです。

スタッフが朝出勤してきて、

これらの業務を、特に何の疑問も持たず、何の改善案も考えずこなして、

時間がきたら帰る。

こういう仕事のことです。

それでは単に肉体労働を提供しているだけだということです。




そういう介護が行われている施設において

入居者は、身の回りのお世話こそきちんとしてもらえるかもしれませんが、

心身共に元気になっていくのは難しいでしょう。




スタッフにとっても、一方的に介護サービスを押し付けていくだけの仕事で、

入居者が元気になるどころか、どんどん廃用症候群を起こし、寝たきりになっていく姿を目の当たりにするわけで、

「どうしてこんなに腰を痛めながら頑張っているのに、みんな寝たきりになるんだろう?」と、

やりがいが感じられず、苦痛でしょう。




それはだれの目から見ても、キツイ、汚い、臭いの3K職場になってしまいます。

しかも、そういう施設においては、例えば3K業務の代表的なものである「おむつ交換」の対象者はどんどん増していきます。(入居者の排泄能力の低下という意味で。)

はっきり言って、全く仕事が面白くないですね。

キツイだけの仕事です。

そんな中でスタッフが追い求めるのは何になるでしょう?




ひとつは、押しつけがましいお世話に対する、入居者の感謝の姿勢です。

こういう環境下のスタッフは、知らぬ間にどこかでそういう高圧的なオーラを入居者に浴びせていくようになります。

お年寄りに対する、あるいはお客様に対する謙虚さとはどんどんかけ離れていき、

入居者は肩身の狭い思いをするようになっていきます。




もうひとつは、全く仕事が面白くないものですから、

スタッフの関心は仕事内容や入居者よりもスタッフ間のコミュニティ形成へと向かうのです。

その結果、入居者を置き去りにして、

業務中の私語はもちろんのこと、

スタッフ間の派閥争いや

無意味なイジメや

公私混同や

多すぎる内輪の飲み会の開催ということになります。




そういう恐ろしいくらい内向きな組織では、

有能なスタッフは去り、

有望な新人も寄り付かず、

サービスレベルは怒涛の如く下降していきます。


どのみち、最も不利益を被るのは入居者であることには間違いないということです。




ちなみに、昨年のコムスン問題以降、問題視されている介護現場というのは全てこのタイプに当てはまります。

また、同じくマスコミに取り上げられる「介護の仕事はキツイ」という現場スタッフの嘆きは、運悪くそういうところでしか介護の仕事をしていない人のものです。

確かに、意図的にネガティブなイメージを植え付けようとするマスコミの報道姿勢には大いに問題がありますが、

そのような悲惨な現場が全国にたくさんあることは事実なので、それは認めるしかないでしょう。




このところ世間の人々が「介護」という言葉に対して抱いているネガティブなイメージの根拠は、

この「肉体労働としての介護」がベースになっています。

確かに、こんな仕事は誰もやりたいとは思わないですよね。

「あなた、介護の仕事しているの・・・大変そうね、しんどいでしょ?」

という哀れみを受けるばかりですね。





さて、上記のような「肉体労働としての介護」に対して

入居者を元気にし、スタッフのレベルを向上させる「考える介護」とは?

次回へ続く。




☆本日の結論
「一度上記のような施設になってしまったら、スタッフが全員退職しても止むを得ない!というくらいの覚悟がなければ改革はできません。気を付けてください。」
前回のブログで「肉体労働としての介護」のことを書きましたが、

実は、今の介護福祉士の養成校(短大や専門学校等)を出ている人たちは、

そのほとんどが、この「肉体労働としての介護」しか学ぶ機会がなかったため、

その知識や技術や考え方を現場に持ち込んでしまっています。

だから、介護福祉士がどれだけ多くいようと施設の介護のレベルが全く向上しないどころか、

ますます寝たきり老人が増えてしまうということになるのです。




無論、これは介護福祉士の方々に責任があるのではなく、

その養成のためのカリキュラムに問題があるということです。

介護を志す貴重な若者に、間違った知識を教えて、結果的に介護職離れを誘発させてしまうことになってしまっている。

それは全てこのカリキュラムが時代遅れだからです。

介護福祉士のカリキュラムは、常に時代の最先端を突っ走っるくらいでないと、

介護のレベルが向上するわけがないし、

介護福祉士の身分も向上しないのです。

いい加減な知識や技術を教えておきながら、介護福祉士という有資格者を大切にしろ!

って言われても、困ってしまいます。

本当に価値のある有資格者であれば、制度がどうであれ、各施設でとっくに大切にされているはずですよね。

それを、無理やり制度で推し進めようとするこの度の制度改訂は、

ウナギが売れないシーズンに「土曜の丑の日」というのを作って、ウナギを売ろうとしている発想となんら変わらないですね。




話が大きくそれてしまいました。




さて、さきほど「肉体労働としての介護技術」が時代遅れと書きましたが、

その理由は、その技術が主に「寝たきり老人を如何に効率良く介護していくか」

ということを想定して構築されているからです。

介護というものが、寝たきり老人の世話としか定義されてなかったという、

「福祉創世記」の視点を未だに引きずっているのです。

そして、それはまず「介助の方法」という形で教えられていきます。

だから、

上手に食事介助を行うには、

上手におむつを替えるには、

上手に入浴させるには、

という技術になります。

ここで言う「上手」とは、介護者が、より手際よく、より安全に行えるという意味です。

そこには、老人の力を最大限引き出し、元気にしていくという視点が著しく欠如しています。

なぜなら、寝たきり老人が元気になるという発想自体がないからです。

「残存機能を生かす」という言葉はあるものの、言うだけで、全くそのような技術になっていないのです。

しかも、これらの技術は、老人の能力に関係なく、ほぼ画一的に教えられます。

私の知る限り、この手の教育で役に立つのはシーツ交換の技術くらいです。




「考える介護」とは、

そのような画一的かつ一方的なお世話のための技術ではなく、

老人を元気にしていくためにはどうすればいいのか?ということを考え、実行していくノウハウなのです。

だから、介護スタッフは肉体よりも頭を使います。

腰痛で苦しまない代わりに、アイデアが出ないことで苦しみます。


次号に続く。




☆本日の結論
「介護スタッフは知的労働者であるべきです。」
元気の家における「考える介護」の方向性は以下の3つです。

①入居者の意欲と能力を最大限引き出し、日常生活行為の自立を目指すこと。

②入居者の問題をその都度スピーディーに解決していくこと。

③その結果、スタッフの肉体労働が減ること。

です。

(ちなみに、これらは今思いつくまま書いたことなので、追加・変更の可能性大です




①も②も、正しい知識・理論と画期的なアイデアが求められるので、

これらは「肉体労働としての介護」しか知らなければ、実行不可能です。




肉体労働は肉体労働を呼び込みます。

ついでに、入居者から元気を奪います。

しかし、

知的労働は肉体労働を減少させます。

入居者も元気にしていきます。




ところで、

③スタッフの肉体労働が減ること

とありますが、

これはつまり、介護スタッフが「考える介護」を実践していくと、

少ないスタッフ数で良いケアを実施できるということです。




逆も言えます。

スタッフが少ない状況だと、考えざるを得ない。

その結果、「考える介護」を展開し、入居者が元気になっていく。


ということです。

(あくまで、絶対に良いケアをするんだ!元気にするんだ!という理念があるということが絶対的な前提ですが。)




スタッフが下手に多いと、日々のケア問題解決の場面で安易に肉体労働を提供してしまい、

入居者の元気を引き出さないまま、あるいは根本的な問題を解決しないままにするので、

状況が悪化し、その後、さらに多くのスタッフを必要としてしまう、ということになります。




日々のケアに関して、分かりやすい例をあげると、




徘徊する人の側に付き添って歩く、ただそれだけのケア。

オムツ交換をこまめにしてあげる、ただそれだけのケア。

移動介助が大変な方に対して、スタッフ3人がかりで安全に移動介助する、ただそれだけのケア。

ということです。




スタッフが少ないと、そんな余裕はないので、

「なぜ徘徊してしまうのか?」と考え、徘徊の原因をすぐに突き止め、落ち着いて過ごしてもらえるような取り組みを実行する。

「オムツなしで過ごせないか?」「どうにかしてトイレに自力で行けないか」ということを考え、すぐに取り込みを開始する。

「入居者の力を活用してスタッフ2人で、あるいは1人で介助出来るようにするにはどうすればいいか?」ということを考え、試行錯誤する。

ということになります。




なんとなく「考える介護」の方向性がご理解いただけたかと思います。




上記のことは、文字にしてしまえばそれほど画期的なことでもなく、有能なスタッフなら普通に出来そうに思えるでしょうが、

でも、実はどこの介護現場でも驚くほど実行できていないのではないでしょうか?

かなり多くの介護スタッフは、肉体労働を提供しただけで、「今日も頑張った!」という感じだと思います。

ましてや、スタッフの数が多いと、なんとかその場はしのげてしまうので、

「何が何でも考えよう!」という姿勢はまず生まれないでしょう。




問題解決に関して、分かりやすい例をあげると、




「肉体労働としての介護」施設では、

「最近Aさん元気ないね。」というスタッフの発言に対して、「そうね、確かにないわね。」で終了。

「Bさん、昨夜もあまり眠れなかったようね。」に対して、「じゃあ、今日は日中眠いかもね。」で終了。

挙句の果てには、

「Cさん、最近食欲ないわね。」に対して、「そうね、心配ね。」で終了。

というレベルだったりします。




これまた、文字にすると「そんな低レベルあり得ねぇだろが!」と思ってしまうでしょうが、

実際は、かなり多くの現場で当たり前のように起こっている事実です。




あるいは、誰かが解決策を提案したとしても、

「Aさんをレクに誘ってみようか。」という安易な提案。

「Bさん、今日は眠剤飲んでもらおうか。」という危険な提案。

「Cさん、今日から食事介助してあげて。」という呆れた提案。

という感じだったりします。

嘘のような本当の話です。




少なくとも介護福祉士のカリキュラムでは、これらの問題をきっちり解決できるようなノウハウは教えれていないはずです。(きっちり教える優秀な講師の方々ももちろんいるでしょうが)

せいぜい、

「Aさん、外出に連れて行ってあげようか。」

「Bさん、今日は昼間はしっかり起きてもらおう。そうすれば今晩はぐっすりかもよ。」

「Cさん、今日の昼食は、大好きなお寿司にしてみようか?」

という解決策が、特に根拠もなく提案されるくらいでしょう。

しかし、これらの解決策も明確な根拠がない以上ピントがずれている可能性大です。




「考える介護」施設の場合、

Aさんに対しては、まず「なぜ元気がないのか?」と、

その原因をスピーディーかつ徹底的に考え突き止めます。

「最近って、具体的にいつからなのか?」

「特にどの時間帯に元気がないのか?」

「食欲はどうなのか?」

「水分摂取はどうなのか?」

「睡眠の状況はどうなのか?」

「便秘はないのか?」

「最近、家族の面会の状況はどうなのか?」

「前回、家族が来た時にどんな会話があったのか?」

「入居者間の関係に変化は?」

「最近薬の変更はあったのか?」

「去年のこの時期はどうだったか?」

「どのスタッフがいるときも元気がないか?」

という感じでありとあらゆる角度から考察していきます。




そして、「これが原因かな?」というものを特定し、

例えば、「家族の面会が久しくないから、孤独感を感じて意欲の低下を招いている。」というような仮説を立て、

「では、すぐに家族に連絡して面会に来てもらおう。」というアイデアを提案し、すぐに実行に移します。

その際に、「連絡するのは今日の15時までにリーダーから、面会は遅くとも明後日までに来てもらうように依頼すること。」ということまで具体的に決定します。

そうでなければ、アイデアから実行までかなりの時間を要してしまうのがオチです。

最悪、連絡することすら忘れてしまいます。(これも、嘘のような本当の話です。)




もちろん、結果的に効果がない場合は、その仮説が間違っているということで、

すぐに次の仮説を立て、実行に移します。




そんな感じです。




☆本日の結論
「考える介護は、そのベースとしてポジティブシンキングが必要です。」


前回書いたとおり、「考える介護」の特徴のひとつとして

スピーディーに問題解決することが挙げられます。

問題解決とは、

まず問題を問題だと認識することから始まります。




前回書いたように、多くの介護現場では、

「Aさん食欲ないね。」という発言に対して、「そうね心配ね。」と言うだけで、

問題をスルーしてしまう傾向にあります。

考える習慣がないとそうなります。

だから、まず「それはいけないことだ。解決しなければ。」と問題視することがスタートです。




次に、問題の原因を明らかにしなければいけません。

「なぜ食欲がないのか?」と問いかけ、

その原因を、ありとあらゆるデータを分析して突き止めるのです。




介護福祉士の学校では、まずこの作業を教えて欲しいと思います。

これを教えていないから、問題の原因と解決策がいつもズレてしまい、

介護福祉士として習った技も、間違った方向に使われてしまうのです。

Aさんの例でいくと、いきなり食事介助をしようとしてしまうのです。




それは、

原因を追究して問題の根拠を明らかにすることを教えず、

いきなり介助技術を教えてしまう教育のせいです。


しかも、その技術は寝たきり老人を対象としたものがほとんどです。

だから、

座位が保てて排泄機能に全く障害がない人に対して、何の疑問も持たずにオムツをつけたり、

健側の足で多少は自分の体重を支えることができる人に対して、持ち上げるような移動介助をしたりしてしまいます。

技が用途に合っていないのです。

そのように根拠のないケアを展開することによって、

老人は次々と廃用症候群を引き起こし、みるみる元気がなくなります。




根拠のないケア…

別名「思いつきケア」

あるいは「いきあたりばったりケア」

もしくは「下手な鉄砲百打ちゃ当たるケア」

という感じです。




Aさんの例の続きです。

Aさんがもし、最近手がしびれて動かせないというのであれば、

スタッフがAさんの手の換わりをする「食事介助」という選択肢も「あり」でしょう。

しかし、その場合であっても、

「なぜしびれているのか?」ということを問題視し、

同じように解決へのプロセスをたどる必要があります。

さらには、例え手がしびれていたとしても、

「その状況でもどうすれば自力で食べることが出来るのか?」

ということを考えることも忘れてはいけません。

考えることばかりですね。

それが「考える介護」です。




もしAさんの「食欲不振」の原因が、

便秘であったり、

不眠であったり、

脱水であったり、

薬の副作用であったり、

人間関係からくるストレスであったり、

入れ歯の具合の悪さであったり、

小さな脳梗塞であったり、

運動不足であったり、

単なる好き嫌いであったり

あるいは最悪のケースである「意欲の低下」であるなら、

当然全く異なるアプローチが求められ、

「食事介助」という解決策は、ハズレどころかさらに事態を悪化させるだけということになります。




☆本日の結論
「前回のおさらいのような内容になっちゃいました。しつこくてすみません。」

前回、「問題をスルーしてしまう」こと、

あるいは、「根拠もなく見当違いなアプローチをしてしまう」傾向が良くないと書きましたが、




なぜ良くないのかというと、

老人ホームの入居者であれ、在宅介護を受けているお年寄りであれ、

小さな問題がきっかけで、大きな心身の状態の悪化につながるからです。




例えば、

「Aさん最近食欲ないね。」

という問題をスルーすると、

瞬く間に脱水症状を起こし、

便秘になって、情緒不安的になったり、

ボーっとして転倒したり、

口腔内が乾き、誤嚥性肺炎を起こしたり、

低栄養になって、床ずれができたり、

どんどん食べれなくなって、経管栄養になったり、

してしまいます。




仮にスルーしなかったとしても、

間違ったアプローチしかしなければ、

根本的な問題は改善されていないので、

同じ結果になります。





その結果、確実に寝たきり老人へと近づいていきます。

人によっては直行します。

要するに、より介護の必要性が高くなるのです。

介護スタッフの肉体労働が増えるのです。




これが、

老人ホームにおいて、「考える介護」をしなければ、

どんどん入居者の元気はなくなり、

スタッフの肉体労働は増えていくという仕組みです。




この問題は、

「肉体労働としての介護」をいくら強化したところで解決できないどころか、

間違ったアプローチ、必要以上の介助がさらに増すことで、

事態はより深刻化します。




問題を見逃すこと、間違ったアプローチをしてしまうことは、

医療に例えると「医療ミス」ということになります。

だからこれは「介護ミス」になります。

この「介護ミス」、

今日も全国津々浦々の施設で乱発しています。




☆本日の結論
「問題をスルーしている人の何割かは、薄々『これは問題だ』と気付いているにも関わらず、イチイチ考えるのが面倒だからという理由であえてスルーしている。間違いない。」

私が「考える介護」という言葉にこだわっている理由の一つに、

若者に介護の仕事の素晴らしさを分かってほしいから」、

という思いがあります。




私は、「考える介護」を実践すると

特別養護老人ホームの入居者でも

どんどん元気になると思っています。

経管栄養の方が普通に口から食べるようになる。

オムツをつけていいた人が自分でトイレに行くようになる。

車椅子の人が歩くようになる。

寝たきりの方が食事作りをするようになる。

こういうことがどんどん可能になると思っています。




そういう意味においては、

介護士の仕事の成果というのは

医師以上だと思っています。

介護の仕事には不可能を可能にする力があると思います。

そいいうビジョンを示すことができれば、

介護の仕事にやりがいを感じて目指してくれる若者は

もっともっと増えていくと思いますし、

そういう実績を残せば、

介護福祉士の地位や待遇も向上すると思います。




ところが現実は、

介護福祉士系の学校では肉体労働としての介護しか教えませんし、

福祉系の大学にいたっては、ほぼ何も教えません
(肉体労働としての介護を下手に教え込まれるよりマシだと思っていますが)

そんな彼らがイメージしている介護の仕事は、

当然、肉体労働としての介護のみです。

尊い仕事だとは思うけど、

「楽しそうじゃない」

「やりがいがない」

「社会的地位が低い」

と、どうしても思ってしまいます。




要するに、

「大学でてまで、なんで夜勤してオムツかえにゃあいけんのん?」

と思われてしまうのです。

十数年前の私もそう思っていたので間違いないです(笑)。




今、せっかく福祉系の大学に行ったにも関わらず、

その多くの学生が一般企業を目指してしまうのは、

このような理由からです。

給与どうこうといった理由以前に、そのようなイメージの問題があります。




だから、私は就職説明会等で大学生と話をする機会があるときは、

「オムツ交換を気持ちよくしなければいけない場面はあるだろうけど、

オムツ交換自体がやりたいと思っている人はいないでしょう。

オムツ交換そのものにやりがいを感じる人もいないでしょう。

私は皆さんにその考えを変えてもらおうとは少しも思っていません。

もし、皆さんが元気の家のスタッフになったとしたら、

求められるのは、

ひたすら献身的にオムツ交換をしていくことではないです。

『どうすればオムツ交換をしなくてもよくなるか?』

『そのために、どうしたら入居者がオムツをしなくても生活できるようになるか?』

『もしかしたらこの入居者は自分でトイレに行けるのでは?きっと不可能ではないはずだ!』

『なぜ、先輩達はこの方にオムツをつけさせたままにしているのだろう?だったら必ず自分がオムツを外してみせる!』

ということを日々考えて欲しいのです。

そのような『考える介護』をして欲しいのです。

だから、大学生である皆さんの頭脳を必要としています。

不可能を可能にして入居者をあり得ないくらい元気にしてやろう!

という皆さんの高い志が必要なんです。」


と訴えていきます。




もちろん大学生だけでなく、

介護福祉士系の学生にも「考える介護」を説明していきます。




「考える介護」を通じて、

介護の仕事の素晴らしさと可能性に気付き、

そこにプライドとやりがいを見出してもらいたいです。

どんどん老人を元気にして、どんどん成果を上げてほしいです。

そして、そのような優れた介護士になれば、

給与も十分なものになるだろうし、

仮に他の業種に転職しても、

十二分に通用するだけのノウハウを得ることが出来ると思っています。




将来多くの方が「考える介護」を実践し、

全国の老人ホームの入居者がどんどん元気になり、

超少子高齢化社会の中、

少数(精鋭)の若者達によるケアだけでも、

十分介護がまかなえるような姿
を夢見て、

今日も考えます。




☆本日の結論
「不可能を可能にする介護の力は、不安な世の中にも光をもたらす。」

私のビジョンである「考える介護」を、

出来るだけ短い言葉で説明すると、

「介護にまつわる様々な問題を、老人を元気にするという方向性で解決しようと考えること。」

ということになります。

書いてみれば普通のことだが、

この一文が中々出てこなかった。

自分の言いたいことが凝縮された文が生まれたときの快感は、

水泳の後、耳の奥にたまっていた水がジュワーと出てきたときよりもスッキリしますね。




一応解説しておきます。



「介護にまつわる様々な問題」とは、

徘徊や異食等の問題行動、

浮腫や便秘等の体調不良、

食欲不振や意欲の減退、

転倒等のリスクなどのことです。




あるいは例えば施設だったら、

夜間にナースコールが頻繁に鳴る、

抱えるのが重くて腰が痛い、

人手が足らなくて十分な介護が出来ない!等のことです。




それらの問題を、老人を今より元気にすることで解決しよう!

という考え方です。




ダメな介護というのは、安易な提案により、

老人の元気を奪ってしまう方向性で解決しようとします。

結果的に、余計に介護が大変になります





☆本日の結論
「ブログとお経は短いに越したことはない。」

このブログでは,

「考える介護」

というカテゴリーがあり,




私も仕事の場面で(特に新人や学生相手に)

そのような文言を発することがあります。




まあ,

それなりにインパクトを与え

相手の興味を引く文言なわけですが,




でも,これって,そもそも,

介護というジャンルをバカにした文言であり,

それを聞いてうなずく人々も,

無意識的に介護の仕事をバカにしていることになるのです。




その証拠に,

「考える看護」

と言われたらどう思いますか?




そんなの当たり前じゃん

って思いますよね。

何のインパクトもないですよね。




むしろ,

「考えない看護」なんてあるの?

という疑問すら浮かびますよね。




「考えない介護」はさほど違和感ないですが(笑)。




これらのことは,

いかに介護の仕事が,

知的労働ではなく,

肉体労働あるいは感情労働として

世間に認知されているかという証なのです。




肉体労働としてのイメージとしては,

・腰が痛くなる

・何も考えずに動きまくる

・作業的な仕事の連続

・体力勝負

というものであり,




感情労働としてのイメージとしては,

・ひたすら優しく笑顔で

・嫌なことがあっても我慢と忍耐で

・無理やりテンション上げて

というものです。




要するに,

良い介護士=体力があって笑顔が素敵で辛抱強い人

と思われているのです。




というわけで,

そこを打開して知的労働の側面をアピールすることこそ,

知的水準の高い良い人材の確保と

アカデミックな職場作りにつながります。




アカデミックな職場とは,

専門職として成長が実感できる職場のことです。




体力と感情の統制だけが成長する職場って

嫌でしょ?




☆本日の結論
「てなわけで,結局,『考える介護』を推していきます!」

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