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Author:元気の子
多くの介護関係者が何となく思っていることを、あたかも理論的に言語化するのが好きですが、エビデンスはほとんどないのでご了承ください。

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飲食店でも

コンビニでも、

工場でも、

そしてもちろん介護現場でも、

最低限必要な人数より多くのスタッフがいる所は、スタッフのレベルが低くなる傾向にあります。




その理由は、

責任の分散であり、

余裕からくる緩みであり、

私語の発生であり、

一切効率化を考えなくなることであります。

しかも、上記のようなことを無意識でやってしまいます。



つまり、

そういう現場で仕事をしていると、知らないうちにスタッフが、

無責任になり

緊張感がなくなり

私語をしてまうようになり

無駄な仕事を疑問を持たずに続けるようになってしまうのです。




あれ?

これって典型的な役人体質ですね。

そういえば、役所も相変わらず無駄に職員が多いですよね。




「うちは他の施設より多くのスタッフがいるんだ!」

と、

胸を張っているあなた。

あなたの施設のスタッフは無駄に多いわけではないと言い切れますか?

一人ひとりのスタッフがきっちりと力を出し切ってますか?

今行われているサービスは本当にその人数でなければ出来ないことですか?

あなたの施設よりもスタッフが少ない所より、確実に良いサービスが出来ていると断言できますか?




人数が多いときは、

通常のサービスよりプラスアルファのサービスを生み出さなければいけませんね。

でも現実は、

人数が増えた当初はそれが出来たとしても、

月日とともに、結局通常のサービスにもどってしまうのです。

要するに、勝手にワークシェアリンングしてしまっているのです。

で、

次に元の人数に減った時に、

「無理!」

ってなるんですね。

以前は出来ていたにも関わらず。

明らかなレベルダウンですね。




人数が増えても介護の質は上がりませんよ。

一人ひとりのスタッフの質が下がるだけです。

だから、長い目で見たら介護の質も下がっていきます。


じゃあ、人数が増えたときに常にプラスアルファのサービスをしていけばいいではないか、

という意見もあるでしょうが、

そんなリーダーがどれだけいるでしょうか?

日々プラスアルファのサービスアイデアを生み出し、指示し、実行させる、

そんなファンタジスタがこの業界にどれだけいるのでしょうか?。





では、あなたに質問です。

あなたはコンビニの店長です。

通常は3名でギリギリ仕事が出来ます。

でも、これから毎日5名の体制にします。

さあ、近隣のどのコンビニよりも素晴らしいサービスをして、

売上を飛躍的に伸ばしてください。



これって嫌なオーダーだと思いませんか?

少ない人数でヒーヒー言いながら仕事をこなす方がよっぽど簡単ですよね。

そんな店長がいるのなら、どこのコンビニも5人体制にしてますよ。




介護施設だって同じです。

多くのスタッフを使いこなし、常にファンタジックなサービスを創造し続けるリーダーがいない限り、

必要以上のスタッフは弊害しか生み出しません。

最終的には、利用者やスタッフの不利益へとつながっていきます。

唯一良いことは、スタッフがそのときだけ楽が出来るということです。

まるで麻薬のような、一時的な快楽です。




でも、私は仮にそんなリーダーがいたとしても、

きちんとしたビジョンやノウハウさえあれば、

やはり少ない人数の方が良い結果を生むと思っています。

その理由はまたの機会で。




☆本日の結論
「スタッフの多さとサービスレベルが反比例している施設って多くない?」
元気の家では、よく

「考える介護」という言葉を使います。

「考える介護」という言葉が指しているものは、

しいて言うなら、「肉体労働としての介護」に対して、それを否定するものです。




では「肉体労働としての介護」とはどういうものかと言いますと、

それは、単におむつを替える、単に食事の介助をする、単に入浴の介助をする、

といった作業的な介護を日々淡々と繰り返すことです。

スタッフが朝出勤してきて、

これらの業務を、特に何の疑問も持たず、何の改善案も考えずこなして、

時間がきたら帰る。

こういう仕事のことです。

それでは単に肉体労働を提供しているだけだということです。




そういう介護が行われている施設において

入居者は、身の回りのお世話こそきちんとしてもらえるかもしれませんが、

心身共に元気になっていくのは難しいでしょう。




スタッフにとっても、一方的に介護サービスを押し付けていくだけの仕事で、

入居者が元気になるどころか、どんどん廃用症候群を起こし、寝たきりになっていく姿を目の当たりにするわけで、

「どうしてこんなに腰を痛めながら頑張っているのに、みんな寝たきりになるんだろう?」と、

やりがいが感じられず、苦痛でしょう。




それはだれの目から見ても、キツイ、汚い、臭いの3K職場になってしまいます。

しかも、そういう施設においては、例えば3K業務の代表的なものである「おむつ交換」の対象者はどんどん増していきます。(入居者の排泄能力の低下という意味で。)

はっきり言って、全く仕事が面白くないですね。

キツイだけの仕事です。

そんな中でスタッフが追い求めるのは何になるでしょう?




ひとつは、押しつけがましいお世話に対する、入居者の感謝の姿勢です。

こういう環境下のスタッフは、知らぬ間にどこかでそういう高圧的なオーラを入居者に浴びせていくようになります。

お年寄りに対する、あるいはお客様に対する謙虚さとはどんどんかけ離れていき、

入居者は肩身の狭い思いをするようになっていきます。




もうひとつは、全く仕事が面白くないものですから、

スタッフの関心は仕事内容や入居者よりもスタッフ間のコミュニティ形成へと向かうのです。

その結果、入居者を置き去りにして、

業務中の私語はもちろんのこと、

スタッフ間の派閥争いや

無意味なイジメや

公私混同や

多すぎる内輪の飲み会の開催ということになります。




そういう恐ろしいくらい内向きな組織では、

有能なスタッフは去り、

有望な新人も寄り付かず、

サービスレベルは怒涛の如く下降していきます。


どのみち、最も不利益を被るのは入居者であることには間違いないということです。




ちなみに、昨年のコムスン問題以降、問題視されている介護現場というのは全てこのタイプに当てはまります。

また、同じくマスコミに取り上げられる「介護の仕事はキツイ」という現場スタッフの嘆きは、運悪くそういうところでしか介護の仕事をしていない人のものです。

確かに、意図的にネガティブなイメージを植え付けようとするマスコミの報道姿勢には大いに問題がありますが、

そのような悲惨な現場が全国にたくさんあることは事実なので、それは認めるしかないでしょう。




このところ世間の人々が「介護」という言葉に対して抱いているネガティブなイメージの根拠は、

この「肉体労働としての介護」がベースになっています。

確かに、こんな仕事は誰もやりたいとは思わないですよね。

「あなた、介護の仕事しているの・・・大変そうね、しんどいでしょ?」

という哀れみを受けるばかりですね。





さて、上記のような「肉体労働としての介護」に対して

入居者を元気にし、スタッフのレベルを向上させる「考える介護」とは?

次回へ続く。




☆本日の結論
「一度上記のような施設になってしまったら、スタッフが全員退職しても止むを得ない!というくらいの覚悟がなければ改革はできません。気を付けてください。」
前回のブログで「肉体労働としての介護」のことを書きましたが、

実は、今の介護福祉士の養成校(短大や専門学校等)を出ている人たちは、

そのほとんどが、この「肉体労働としての介護」しか学ぶ機会がなかったため、

その知識や技術や考え方を現場に持ち込んでしまっています。

だから、介護福祉士がどれだけ多くいようと施設の介護のレベルが全く向上しないどころか、

ますます寝たきり老人が増えてしまうということになるのです。




無論、これは介護福祉士の方々に責任があるのではなく、

その養成のためのカリキュラムに問題があるということです。

介護を志す貴重な若者に、間違った知識を教えて、結果的に介護職離れを誘発させてしまうことになってしまっている。

それは全てこのカリキュラムが時代遅れだからです。

介護福祉士のカリキュラムは、常に時代の最先端を突っ走っるくらいでないと、

介護のレベルが向上するわけがないし、

介護福祉士の身分も向上しないのです。

いい加減な知識や技術を教えておきながら、介護福祉士という有資格者を大切にしろ!

って言われても、困ってしまいます。

本当に価値のある有資格者であれば、制度がどうであれ、各施設でとっくに大切にされているはずですよね。

それを、無理やり制度で推し進めようとするこの度の制度改訂は、

ウナギが売れないシーズンに「土曜の丑の日」というのを作って、ウナギを売ろうとしている発想となんら変わらないですね。




話が大きくそれてしまいました。




さて、さきほど「肉体労働としての介護技術」が時代遅れと書きましたが、

その理由は、その技術が主に「寝たきり老人を如何に効率良く介護していくか」

ということを想定して構築されているからです。

介護というものが、寝たきり老人の世話としか定義されてなかったという、

「福祉創世記」の視点を未だに引きずっているのです。

そして、それはまず「介助の方法」という形で教えられていきます。

だから、

上手に食事介助を行うには、

上手におむつを替えるには、

上手に入浴させるには、

という技術になります。

ここで言う「上手」とは、介護者が、より手際よく、より安全に行えるという意味です。

そこには、老人の力を最大限引き出し、元気にしていくという視点が著しく欠如しています。

なぜなら、寝たきり老人が元気になるという発想自体がないからです。

「残存機能を生かす」という言葉はあるものの、言うだけで、全くそのような技術になっていないのです。

しかも、これらの技術は、老人の能力に関係なく、ほぼ画一的に教えられます。

私の知る限り、この手の教育で役に立つのはシーツ交換の技術くらいです。




「考える介護」とは、

そのような画一的かつ一方的なお世話のための技術ではなく、

老人を元気にしていくためにはどうすればいいのか?ということを考え、実行していくノウハウなのです。

だから、介護スタッフは肉体よりも頭を使います。

腰痛で苦しまない代わりに、アイデアが出ないことで苦しみます。


次号に続く。




☆本日の結論
「介護スタッフは知的労働者であるべきです。」
元気の家における「考える介護」の方向性は以下の3つです。

①入居者の意欲と能力を最大限引き出し、日常生活行為の自立を目指すこと。

②入居者の問題をその都度スピーディーに解決していくこと。

③その結果、スタッフの肉体労働が減ること。

です。

(ちなみに、これらは今思いつくまま書いたことなので、追加・変更の可能性大です




①も②も、正しい知識・理論と画期的なアイデアが求められるので、

これらは「肉体労働としての介護」しか知らなければ、実行不可能です。




肉体労働は肉体労働を呼び込みます。

ついでに、入居者から元気を奪います。

しかし、

知的労働は肉体労働を減少させます。

入居者も元気にしていきます。




ところで、

③スタッフの肉体労働が減ること

とありますが、

これはつまり、介護スタッフが「考える介護」を実践していくと、

少ないスタッフ数で良いケアを実施できるということです。




逆も言えます。

スタッフが少ない状況だと、考えざるを得ない。

その結果、「考える介護」を展開し、入居者が元気になっていく。


ということです。

(あくまで、絶対に良いケアをするんだ!元気にするんだ!という理念があるということが絶対的な前提ですが。)




スタッフが下手に多いと、日々のケア問題解決の場面で安易に肉体労働を提供してしまい、

入居者の元気を引き出さないまま、あるいは根本的な問題を解決しないままにするので、

状況が悪化し、その後、さらに多くのスタッフを必要としてしまう、ということになります。




日々のケアに関して、分かりやすい例をあげると、




徘徊する人の側に付き添って歩く、ただそれだけのケア。

オムツ交換をこまめにしてあげる、ただそれだけのケア。

移動介助が大変な方に対して、スタッフ3人がかりで安全に移動介助する、ただそれだけのケア。

ということです。




スタッフが少ないと、そんな余裕はないので、

「なぜ徘徊してしまうのか?」と考え、徘徊の原因をすぐに突き止め、落ち着いて過ごしてもらえるような取り組みを実行する。

「オムツなしで過ごせないか?」「どうにかしてトイレに自力で行けないか」ということを考え、すぐに取り込みを開始する。

「入居者の力を活用してスタッフ2人で、あるいは1人で介助出来るようにするにはどうすればいいか?」ということを考え、試行錯誤する。

ということになります。




なんとなく「考える介護」の方向性がご理解いただけたかと思います。




上記のことは、文字にしてしまえばそれほど画期的なことでもなく、有能なスタッフなら普通に出来そうに思えるでしょうが、

でも、実はどこの介護現場でも驚くほど実行できていないのではないでしょうか?

かなり多くの介護スタッフは、肉体労働を提供しただけで、「今日も頑張った!」という感じだと思います。

ましてや、スタッフの数が多いと、なんとかその場はしのげてしまうので、

「何が何でも考えよう!」という姿勢はまず生まれないでしょう。




問題解決に関して、分かりやすい例をあげると、




「肉体労働としての介護」施設では、

「最近Aさん元気ないね。」というスタッフの発言に対して、「そうね、確かにないわね。」で終了。

「Bさん、昨夜もあまり眠れなかったようね。」に対して、「じゃあ、今日は日中眠いかもね。」で終了。

挙句の果てには、

「Cさん、最近食欲ないわね。」に対して、「そうね、心配ね。」で終了。

というレベルだったりします。




これまた、文字にすると「そんな低レベルあり得ねぇだろが!」と思ってしまうでしょうが、

実際は、かなり多くの現場で当たり前のように起こっている事実です。




あるいは、誰かが解決策を提案したとしても、

「Aさんをレクに誘ってみようか。」という安易な提案。

「Bさん、今日は眠剤飲んでもらおうか。」という危険な提案。

「Cさん、今日から食事介助してあげて。」という呆れた提案。

という感じだったりします。

嘘のような本当の話です。




少なくとも介護福祉士のカリキュラムでは、これらの問題をきっちり解決できるようなノウハウは教えれていないはずです。(きっちり教える優秀な講師の方々ももちろんいるでしょうが)

せいぜい、

「Aさん、外出に連れて行ってあげようか。」

「Bさん、今日は昼間はしっかり起きてもらおう。そうすれば今晩はぐっすりかもよ。」

「Cさん、今日の昼食は、大好きなお寿司にしてみようか?」

という解決策が、特に根拠もなく提案されるくらいでしょう。

しかし、これらの解決策も明確な根拠がない以上ピントがずれている可能性大です。




「考える介護」施設の場合、

Aさんに対しては、まず「なぜ元気がないのか?」と、

その原因をスピーディーかつ徹底的に考え突き止めます。

「最近って、具体的にいつからなのか?」

「特にどの時間帯に元気がないのか?」

「食欲はどうなのか?」

「水分摂取はどうなのか?」

「睡眠の状況はどうなのか?」

「便秘はないのか?」

「最近、家族の面会の状況はどうなのか?」

「前回、家族が来た時にどんな会話があったのか?」

「入居者間の関係に変化は?」

「最近薬の変更はあったのか?」

「去年のこの時期はどうだったか?」

「どのスタッフがいるときも元気がないか?」

という感じでありとあらゆる角度から考察していきます。




そして、「これが原因かな?」というものを特定し、

例えば、「家族の面会が久しくないから、孤独感を感じて意欲の低下を招いている。」というような仮説を立て、

「では、すぐに家族に連絡して面会に来てもらおう。」というアイデアを提案し、すぐに実行に移します。

その際に、「連絡するのは今日の15時までにリーダーから、面会は遅くとも明後日までに来てもらうように依頼すること。」ということまで具体的に決定します。

そうでなければ、アイデアから実行までかなりの時間を要してしまうのがオチです。

最悪、連絡することすら忘れてしまいます。(これも、嘘のような本当の話です。)




もちろん、結果的に効果がない場合は、その仮説が間違っているということで、

すぐに次の仮説を立て、実行に移します。




そんな感じです。




☆本日の結論
「考える介護は、そのベースとしてポジティブシンキングが必要です。」


前回書いたとおり、「考える介護」の特徴のひとつとして

スピーディーに問題解決することが挙げられます。

問題解決とは、

まず問題を問題だと認識することから始まります。




前回書いたように、多くの介護現場では、

「Aさん食欲ないね。」という発言に対して、「そうね心配ね。」と言うだけで、

問題をスルーしてしまう傾向にあります。

考える習慣がないとそうなります。

だから、まず「それはいけないことだ。解決しなければ。」と問題視することがスタートです。




次に、問題の原因を明らかにしなければいけません。

「なぜ食欲がないのか?」と問いかけ、

その原因を、ありとあらゆるデータを分析して突き止めるのです。




介護福祉士の学校では、まずこの作業を教えて欲しいと思います。

これを教えていないから、問題の原因と解決策がいつもズレてしまい、

介護福祉士として習った技も、間違った方向に使われてしまうのです。

Aさんの例でいくと、いきなり食事介助をしようとしてしまうのです。




それは、

原因を追究して問題の根拠を明らかにすることを教えず、

いきなり介助技術を教えてしまう教育のせいです。


しかも、その技術は寝たきり老人を対象としたものがほとんどです。

だから、

座位が保てて排泄機能に全く障害がない人に対して、何の疑問も持たずにオムツをつけたり、

健側の足で多少は自分の体重を支えることができる人に対して、持ち上げるような移動介助をしたりしてしまいます。

技が用途に合っていないのです。

そのように根拠のないケアを展開することによって、

老人は次々と廃用症候群を引き起こし、みるみる元気がなくなります。




根拠のないケア…

別名「思いつきケア」

あるいは「いきあたりばったりケア」

もしくは「下手な鉄砲百打ちゃ当たるケア」

という感じです。




Aさんの例の続きです。

Aさんがもし、最近手がしびれて動かせないというのであれば、

スタッフがAさんの手の換わりをする「食事介助」という選択肢も「あり」でしょう。

しかし、その場合であっても、

「なぜしびれているのか?」ということを問題視し、

同じように解決へのプロセスをたどる必要があります。

さらには、例え手がしびれていたとしても、

「その状況でもどうすれば自力で食べることが出来るのか?」

ということを考えることも忘れてはいけません。

考えることばかりですね。

それが「考える介護」です。




もしAさんの「食欲不振」の原因が、

便秘であったり、

不眠であったり、

脱水であったり、

薬の副作用であったり、

人間関係からくるストレスであったり、

入れ歯の具合の悪さであったり、

小さな脳梗塞であったり、

運動不足であったり、

単なる好き嫌いであったり

あるいは最悪のケースである「意欲の低下」であるなら、

当然全く異なるアプローチが求められ、

「食事介助」という解決策は、ハズレどころかさらに事態を悪化させるだけということになります。




☆本日の結論
「前回のおさらいのような内容になっちゃいました。しつこくてすみません。」

前回、「問題をスルーしてしまう」こと、

あるいは、「根拠もなく見当違いなアプローチをしてしまう」傾向が良くないと書きましたが、




なぜ良くないのかというと、

老人ホームの入居者であれ、在宅介護を受けているお年寄りであれ、

小さな問題がきっかけで、大きな心身の状態の悪化につながるからです。




例えば、

「Aさん最近食欲ないね。」

という問題をスルーすると、

瞬く間に脱水症状を起こし、

便秘になって、情緒不安的になったり、

ボーっとして転倒したり、

口腔内が乾き、誤嚥性肺炎を起こしたり、

低栄養になって、床ずれができたり、

どんどん食べれなくなって、経管栄養になったり、

してしまいます。




仮にスルーしなかったとしても、

間違ったアプローチしかしなければ、

根本的な問題は改善されていないので、

同じ結果になります。





その結果、確実に寝たきり老人へと近づいていきます。

人によっては直行します。

要するに、より介護の必要性が高くなるのです。

介護スタッフの肉体労働が増えるのです。




これが、

老人ホームにおいて、「考える介護」をしなければ、

どんどん入居者の元気はなくなり、

スタッフの肉体労働は増えていくという仕組みです。




この問題は、

「肉体労働としての介護」をいくら強化したところで解決できないどころか、

間違ったアプローチ、必要以上の介助がさらに増すことで、

事態はより深刻化します。




問題を見逃すこと、間違ったアプローチをしてしまうことは、

医療に例えると「医療ミス」ということになります。

だからこれは「介護ミス」になります。

この「介護ミス」、

今日も全国津々浦々の施設で乱発しています。




☆本日の結論
「問題をスルーしている人の何割かは、薄々『これは問題だ』と気付いているにも関わらず、イチイチ考えるのが面倒だからという理由であえてスルーしている。間違いない。」

私が「考える介護」という言葉にこだわっている理由の一つに、

若者に介護の仕事の素晴らしさを分かってほしいから」、

という思いがあります。




私は、「考える介護」を実践すると

特別養護老人ホームの入居者でも

どんどん元気になると思っています。

経管栄養の方が普通に口から食べるようになる。

オムツをつけていいた人が自分でトイレに行くようになる。

車椅子の人が歩くようになる。

寝たきりの方が食事作りをするようになる。

こういうことがどんどん可能になると思っています。




そういう意味においては、

介護士の仕事の成果というのは

医師以上だと思っています。

介護の仕事には不可能を可能にする力があると思います。

そいいうビジョンを示すことができれば、

介護の仕事にやりがいを感じて目指してくれる若者は

もっともっと増えていくと思いますし、

そういう実績を残せば、

介護福祉士の地位や待遇も向上すると思います。




ところが現実は、

介護福祉士系の学校では肉体労働としての介護しか教えませんし、

福祉系の大学にいたっては、ほぼ何も教えません
(肉体労働としての介護を下手に教え込まれるよりマシだと思っていますが)

そんな彼らがイメージしている介護の仕事は、

当然、肉体労働としての介護のみです。

尊い仕事だとは思うけど、

「楽しそうじゃない」

「やりがいがない」

「社会的地位が低い」

と、どうしても思ってしまいます。




要するに、

「大学でてまで、なんで夜勤してオムツかえにゃあいけんのん?」

と思われてしまうのです。

十数年前の私もそう思っていたので間違いないです(笑)。




今、せっかく福祉系の大学に行ったにも関わらず、

その多くの学生が一般企業を目指してしまうのは、

このような理由からです。

給与どうこうといった理由以前に、そのようなイメージの問題があります。




だから、私は就職説明会等で大学生と話をする機会があるときは、

「オムツ交換を気持ちよくしなければいけない場面はあるだろうけど、

オムツ交換自体がやりたいと思っている人はいないでしょう。

オムツ交換そのものにやりがいを感じる人もいないでしょう。

私は皆さんにその考えを変えてもらおうとは少しも思っていません。

もし、皆さんが元気の家のスタッフになったとしたら、

求められるのは、

ひたすら献身的にオムツ交換をしていくことではないです。

『どうすればオムツ交換をしなくてもよくなるか?』

『そのために、どうしたら入居者がオムツをしなくても生活できるようになるか?』

『もしかしたらこの入居者は自分でトイレに行けるのでは?きっと不可能ではないはずだ!』

『なぜ、先輩達はこの方にオムツをつけさせたままにしているのだろう?だったら必ず自分がオムツを外してみせる!』

ということを日々考えて欲しいのです。

そのような『考える介護』をして欲しいのです。

だから、大学生である皆さんの頭脳を必要としています。

不可能を可能にして入居者をあり得ないくらい元気にしてやろう!

という皆さんの高い志が必要なんです。」


と訴えていきます。




もちろん大学生だけでなく、

介護福祉士系の学生にも「考える介護」を説明していきます。




「考える介護」を通じて、

介護の仕事の素晴らしさと可能性に気付き、

そこにプライドとやりがいを見出してもらいたいです。

どんどん老人を元気にして、どんどん成果を上げてほしいです。

そして、そのような優れた介護士になれば、

給与も十分なものになるだろうし、

仮に他の業種に転職しても、

十二分に通用するだけのノウハウを得ることが出来ると思っています。




将来多くの方が「考える介護」を実践し、

全国の老人ホームの入居者がどんどん元気になり、

超少子高齢化社会の中、

少数(精鋭)の若者達によるケアだけでも、

十分介護がまかなえるような姿
を夢見て、

今日も考えます。




☆本日の結論
「不可能を可能にする介護の力は、不安な世の中にも光をもたらす。」

私は4年前くらいから、

介護施設でも少数のスタッフで良いサービスを提供するノウハウを追求したほうが良いという「少数スタッフ派」だったのですが、

当時は、多くのスタッフでこそ良いケアが出来ると皆が信じ込んでいたので、この考えはあまり受け入れられなかったです。

しかし、少子化が進む中、また最近の「介護職離れ」の傾向の中、

ほとんどの施設が、望もうが望ままいが、少数のスタッフでのサービスを余儀なくされています。

今は不景気だから介護業界に人材が流れてくる、みたいな楽観論者も多いですが、

それも今だけの話で、

長期的には、財政難少子化の流れの中では、少数のスタッフでやっていくしかないのです。

このことに異論を唱える人はいないでしょう。




だったら、スタッフが少ないことに嘆いてばかりでなく、

どうすれば少ないスタッフでも、より良い介護が提供できるのか?

ということをポジティブに考える方がよっぽどいいと思います。

まあ私の場合は、それを通り越して、

「少ないほうが良い!」

と思っているのですが…。



利用者目線で見たとき、

同じスタッフの人数でも、

「うちはスタッフが少なくて大変なのよ。」と弱気な施設と、

「少ないからこそ、良いケアが出来ると思って頑張ってます!」という施設では、

どちらを利用したいと思うかは明白です。




そういう意味では、

これからの時代、

介護スタッフの人数は少ないほうが良い!

との主張を唱えているこのブログの論が、多数派になっていくのかもしれませんね。




「介護スタッフは少なくても良い」と公に言ってしまったら、

容赦なく厚労省に介護報酬を削られてしまうという事情もありますけど…




☆本日の結論
「実は元気の家のスタッフは普通に多かったりして

16日のWBC 対キューバ戦見ました。

私はその勝敗以上にイチローのことが気になりました。

それはイチローのプレーや彼自身のことではなく、

周囲の人々のイチローへの接し方のことです。




最近のマスコミの論調や今回のテレビ中継を見る限り、

イチローというのは明らかなタブーになっています。

腫物に触るようにイチローを取り上げ、イチローについて語っています。

イチローがバンバン打ってくれれば、それでも成立するのですが、

めっきり打たない上に、落球までしてしまうものですから、

テレビを見ているこちらまで気を遣ってしまいます。




テレビ中継のアナウンサーやゲストの清原や槙原に言わせると、

イチローがバントに失敗すれば、二塁走者の城島の足が遅かったから

イチローが落球すれば、太陽が目に入ったから

チャンスに凡退しても、そのときに点が入ったから「役割は果たした」

ということらしいのですが、

どう考えてもこれらはイチローのミスでしょう!!

イチロー以外の選手の仕業だったら、手厳しいことも言っているでしょうに。




これではまるで接待ゴルフですね。

取引先の社長のティーショットがOBになると、「急に風が吹いたみたいですね。」

短いパットを外したら、「このグリーン手入れが悪いですね。」

みたいな。

たまに、ナイスショットすると、

さすが社長!今のが本当の実力ですねぇ。」

とフォローに徹する、

みたいな。




最近、イチローがヒット打った時って、そんな空気ないですか?

普通のヒットなんだけど、「さすがイチロー!

みたいな。




原監督のコメントなんかもっと切なくて、

「イチローはたとえヒットを打たなくても、元気に試合に出てくれるだけでいいんだ。」

ですと。

打てないイチローを使い続けなければいけないことの苦悩がにじみ出ていますね。

もしイチローを外して負けたら、原監督は立場がないですからね。




イチローってそんなキャラでしたかね。

少なくとも私は、

ファンやマスコミの支持があろうとなかろうと、

憎らしいくらいヒットを打つことで、

周囲を黙らしてきたのがイチローだと思っています。

こんな引退前の名プレーヤーみたいな扱いを受けて、

最も気に入らないのはイチロー自身だと思うんですけどね。




イチローの悪口を言うのがタブーなのは、

(WBCに関しては)野球を知らない一般ファンからの支持が強いからなのか?

イチローのスポンサーに配慮してのものなのか?

あるいは単にイチローにビビっているだけなのか?




いずれにせよ、その空気が日本チームを重くしていることは間違いないような気がします。

もともと、原監督の日本代表チーム就任問題からしてイチローに気を遣ってのことなので、(イチローは星野や野村が嫌い)

こうなることは当然とも言えます。




よって、日本チームが勝ち進むためにはイチローがしっかりと活躍して、

監督や、チームメイトや、マスコミや、視聴者が、

いらぬ気を使わなくてもいい状態になることが大切ですね。

そういう意味では、全てはイチローのバットにかかっていると言えます。




さて、あなたの職場にもイチローはいないでしょうか?

今まで目を見張る働きをしてきたスタッフや、

出世してリーダーや主任になっている方や、

やたら知識を振りかざす看護師やケアマネといった人たちや、

やたら気の強いスタッフは、

イチロー化する危険がありますよ。




明らかにその人が報告し忘れたミスでも、

「確認に来なかった方が悪い!」

みたいな。




ひどい場合は、

明らかにその人のケアのアプローチが悪かったにも関わらず、

「Aさん(入居者)に意欲がないから…。」

入居者のせいにしてみたり、

みたいな。




スタッフ間のタブーによって、入居者が不利益をこうむるようになるのは避けなければいけません。

しかし、組織が内向きな福祉施設ではそういうことは決して珍しくありません。

(他にも、役所や警察といった公共機関や歴史の古い大企業といった、お客さんの目より職場の人間の目を気にするような体質の組織は似たような傾向になります。)

誰の仕業であろうと、ダメなものはダメと言える職場でありたいですね。




☆本日の結論
「入居者の代わりに『それはダメなんじゃないかな』と言うのがあなたの仕事です。」

私、昨日、敷島堂で働いている知人と話をする機会がありました。

とりあえず「景気どうなん?」と聞いたら、

「それがいいんよ、前年比110%の売り上げなんよ。」

との答え。

「じゃあ、おたくの社長、不況になる前から努力してたんでしょ?」と聞くと、

「そうなんよ、社長は誰よりも研究熱心じゃけぇ。」

との答え。




やはり伸びる会社と倒産する会社の違いはそこが大きいですね。

今の経済不安はかなりのものですから、

どんなに努力をしていても泣く泣く倒産するというケースも当然あるでしょう。

しかし、景気がいい時に決してあぐらをかかず、常に上を目指して努力し続けている会社は、

不況の中でもビクともしなかったりするんですよ。




不況になって大慌ての会社の多くは、

景気がいい時に、社長や幹部らがろくに仕事もせず、

ゴルフ三昧、飲み三昧というパターンが多いようです。




それは介護業界にとっても同じこと。

実は、介護業界はまだ不況というものを経験したことがないのです。

ぜいぜい介護報酬が少しダウンしただのしないだのというレベルで、

例えば今の自動車メーカーのように、

いきなり売上高40%ダウン

のようなショックは経験したことがないはずです。




現在も、一般企業の不況の嵐は他人事で、

いたってのんきな感じの施設が多いです。

「不景気になったほうが人材が流れてきていいわい。」

と逆に喜んでいる方々も少なくありません。

完全に対岸の火事として見ていますね。

そんなわけないのに。




業界に不況の波がやってきても大丈夫なように、今から準備をしている施設はほどんどないでしょう。

まるで自分たちの業界は絶対に不況にならないと信じているようです。




では、介護業界にとっての不況とは何なんでしょう?





私は、介護業界における究極の不況は、

介護保険制度の崩壊

だと考えています。

そうなると、すべて利用者が実費負担するのです。




デイサービスは1日1万円

特養は1カ月40万円

という負担です。



介護保険制度が崩壊しても、

今と同じように土地・建物の借入金を返しながら、今と同じだけのスタッフを雇って給与を支払い続けようと思ったら、

上記の金額を利用者の皆さんが納得して支払ってくれるようなレベルのケアを提供する必要があります。
(ここでは利用者の支払能力の有無は無視しますが)




果たして、今あなたのデイに1日1万円支払ってでも利用する人が何名いるでしょうか?

あなたの特養に1カ月40万円支払ってでも入居し続けたいという人が何名いるでしょうか?

これだけの金額を支払うくらいなら、「家で介護する」という人が多いと思います。



今は特養も営業の必要なんて全くなくて、

入居希望者が100名待ちだの、3年待ちだのとあぐらをかいていますが、

制度がなくなったら、誰もリストには残らないですよ。

相談員やケアマネは必死で頭を下げて営業に回らないといけなくなるでしょう。




でも、肝心のケアに価値がなければ、誰も40万円なんて払いませんね。

そのときは、単に預かって世話をするだけのケアでは通用しません。

せいぜい15万円くらいの価値しかないでしょう。

「年金の範囲」という価値しかないでしょう。




では、どうすれば1カ月40万円の料金でも満床になり、

さらには順番待ちになるような人気施設になるのでしょうか?

その方針は施設ごとにまちまちでしょうが、

単に建物が豪華、食事が御馳走というレベルで誤魔化せるものではないでしょう。

やはりケアそのものに価値が求められると思います。

ちなみに私は

「元気にするケア」

にそれを見出しています。





話は少し変わりますが、

現在、スタッフが多くなければ良いケアはできないと信じ込んでいる人も、

制度が崩壊した途端、「スタッフを少なく!」という方向へ走ることは目に見えています。

でも、スタッフが少なくなっただけでは、ケアの質が下がるだけですから、

ますます利用者は去っていきます。




そのときに利用者が集まるのは、

少ないスタッフでも良いケアを提供できるノウハウを持った施設

さらには

少ない人数でこそ良いケアを創り出すノウハウを持った施設

ということになります。

利用者目線で言えば、「安くて良いサービス」ということになります。

仮にスタッフを多く雇ったままならば、

「高いけどすごく良いサービス」が求められます。




今の特養のスタッフ配置は明らかに多いです。

もし、今の体制で、「すごく良いサービス」が出来ていなかったら、

制度崩壊と同時に淘汰されるということになります。

そこを意識して経営できているかどうかが、「違い」だと思います。




本日の結論☆
「確かに敷島堂はいいお菓子を作っている

その道のプロという人は、当然「素人」とは違います。

仕事の内容もスピードも違います。

その仕事を達成するための人数も違います。



例えば、介護現場であれば、

入居者が20名いるフロアに、

素人スタッフなら6名いなければ出来ないような成果を、

(あるいは6名いても出来ないような成果を、)

3名のスタッフでやってしまう、

というのがプロの介護士だということが出来ると思います。




少ない人数でこなせたけど内容は下がったよ、

というのでなく、

少ない人数でこなせた上に、内容も良かったよ、

というのがミソです。




そこを常に目指している現場、

あるいは、そこを常に目指している介護士は、

そうでない現場、そうでない人に比べて、

飛躍的にレベルアップしていると思います。




皆さんの職場でも、

例えば同じフロアでケアにあたるとしても、

下から数えた10名のスタッフによるチームよりも、

上から数えた3名のスタッフによるチームの方が、

良い成果(現場の雰囲気が良い、入居者の能力を生かせている等)を上げることが出来ると思います。

要は、そういうことです。




コンビニでも、

大工現場でも、

レストランでも、

マクドナルドでも、

そうであるように、

介護の仕事も同じ要素が多分にあると思います。




ただ、どうしてもネックになっているのは、

介護や保育の仕事は人手がかかる」という固定概念です。

「手厚い介護」という言葉を聞くと、

多くの人はスタッフの質ではなく量を創造してしまいます。




その原因は保育や介護の業界が自ら作り出したものでもあります。

つまり、何かにつけては「人手が足らない」という言い訳です。

「人数が少ないから良いサービスが出来ない、だから予算を上げろ。」という論法です。

人も金もたくさんあった時代は、この論法もまだ通用したかもしれませんが…。




人数が多くないと…という固定概念に犯されると、

プロ1人よりも素人3人の方が良い!

という考えにすらなってしまいます。

こういう土壌では、当然、「その道のプロ」は育ちにくいです。




そんなんだから、「派遣切りされた人を介護職に」という発想になってしまうのです。

「人手が足らないんだったら、素人でもなんでもいいでしょ、とりあえず数いりゃぁ。」

みたいな。

しかも、介護業界も「それでもいいかも」と反応してしまっているのが、悲しい現実です。

人数が多ければ解決すると考えている人が多いようです。

もっとも、それだけ背に腹を代えられない事情もあるのでしょうが…。




とにかく、量を増やすことばかり考えてきた業界ですから、

今までの歴史においては、質で解決するということに対して、一切脳が使われなかったのです。

未だに「量はなくても質で解決できるかも?」という発想すら生まれないくらい、洗脳されています。

なので、こういう私の論をつい批判的に見てしまうのも無理がないということです。




私は、これからの介護士には、

量的問題を解決するだけの技を身に着けて欲しいと思っています。

もちろん、技といっても、おむつ交換や入浴介助が早いという技ではないですよ。

念のため




本日の結論☆
「『うちの施設は少数のスタッフで質の高いケアを展開しています。』って堂々とパンフレットに書ける時代は遠いのか?」

少数スタッフ論を構成している根拠は様々ですが、

ひとつ確実に言えることは、

今後ますます加速する超少子高齢化社会の中で介護の問題をどのように解決していくのか?

ということへの回答であるということです。




もし今後の日本が、老人が少なく、若者が多く、財政も健全であれば、

このような論を展開する必要もないし、

もっとのんびり介護の仕事をしていると思います。

ブログのタイトルも、

「スロー介護のすすめ」

みたいなものになっていたかもしれません。




さて、

超少子高齢化社会財政難の日本において介護の問題をどう片付けるのか?

という議論になったとき、

通常行き着く結論は二つです。




一つ目は、外国人介護士の受け入れにより、少子化の問題を解決しようというものです。

例によって、主に介護士の「量」の問題を解決しようというアプローチです。

ただ、現時点での、例えばインドネシア人介護士の受け入れの様子(これはどちらかというと介護の問題解決というより経済連携協定《EPA》という貿易外交の副産物なのですが…)などを見ると、

人材のハードルを高くしており、給与も日本人と同程度ということなので、

結果的に、量よりも質へのアプローチになっているように思います。

(→これは彼らのように有能でモチベーションの高い人材が日本の介護現場にやってくることによって、日本の介護のレベルが上がるという意味です。ちなみに近い将来、多くの日本の介護福祉士は彼らに使われる側になると思います。)




しかし、このアプローチは、

最終的には安い賃金で多くの外国人を受け入れていくという方向になるのではないかと危惧しています。

なぜ危惧しているのかと言うと、

質の悪い介護士が増えると、寝たきりや認知症の人が増えてしまい、介護の問題がますます深刻化するからです。

介護の問題を介護士の「量」でのみ片付けようとすると、必ずこのような悪循環が生まれます。

世間の人々もそうですが、介護業界においてもこの当たり前の理屈を理解していない人がびっくりするくらい多いです。

このように外国人介護士の問題は、単に外国人に介護されるのが嫌なのかどうかという次元の問題ではないのです。





二つ目の結論は、国が福祉としての介護を放棄するというものです。

このネガティブな結論は、今のところ誰も口には出していませんが、誰もが薄々思っていることです。

要は介護保険制度の崩壊です。

福祉のレベルがアメリカ並になるということです。

こうなると、お金持ちは手厚い介護を受けることが出来るけど、

お金がない人は家族で介護をするしかないということです。

おそらく遅かれ早かれこのような時代になるでしょう。




「えーっ、それって、最悪じゃん

「私ら貯金ないしダメじゃん

と思った方、心配ご無用です。

確かに家庭や地域や施設の介護あり方が今のままでは、

絶対にヤバイですけど、

私は上手くやれば全く問題ないと思っています。

若者が少ないからといって外国人介護士を受け入れる必要も全くないと思っています。(質を高めるためには良いと思いますが。)




その上手くやっていく方法の一つとして、

現在は主に「施設における介護のやり方」を、このブログでアウトプットしています。

(そのうち、家庭や地域で上手くやっていく方法を展開する予定です。)

そのメインテーマが、

「介護スタッフは少ない方がいいし、むしろその方が入居者が元気になるよ。」

という少数スタッフ論です。

この方法論が早くに成果を上げれば、

入所施設においては介護保険制度が維持できると思っています。




超少子高齢化社会における介護問題に対する私のスタンスは、

「少子高齢化結構!その状況の中で介護の問題を解決していきましょう!そんでもって、今後同じ問題に直面する国々のモデルになりましょう!」

という感じです。




本日の結論☆
「インドネシア人介護士って、日本の介護福祉士の10倍は勉強してるだろうし、ハングリーだし、本当に大丈夫?主任さん。」

先日、ふとテレビをみていたら、とあるヨーロッパの国の様子が映っていました。

そこには昼間から草原にカップルが寝転がっていたり、

通りのカフェでワインを飲んでいるヨーロピアンの姿がありました。

それらの様子はすごく優雅で自然に見えました。




もし、日本で同じ光景を目にしたらどう思うでしょう?

昼間から寝ている若者はニート?

路上で酒を飲んでいるのはアル中?

となってしまうと思います。




これは明らかに文化の違いですね。

多分、ヨーロッパの人々は、「何もしなくても良い状況」こそが最も贅沢な姿だと思っているに違いないです。

仕事なんてしないにこしたことはない、という考えです。

朝から晩までのんびりして、

旨いものを食べて、音楽を聴いて、読書をして、演劇を聞いて、絵を描いて、恋をして、ワインを飲んでいる日々に満足するのです。きっと。

ヨーロッパの貴族は昔から暇つぶしのネタを考えるのが仕事でした。(だってずっと暇だもの)

だから、絵画を眺めては、それについて語ったりするのです。

その結果、感性だけはとても進化しています。




さて、一方の日本人ですが、

確かにそのような生活に憧れをもつという側面はあるでしょうが、

仮にそのような生活をしたとしても、

一週間もしないうちにソワソワしてくるような気がします。

そんな退屈な生活に耐えられなくなるのです。

昼間からワインを飲んでくつろぐ日々、

大好きな音楽を聴きながら日向ぼっこする日々、

絵画を眺めるだけで時が過ぎるような日々、なんてあり得ないでしょう。

こんなことしていていいのか?

自分は生きている価値があるのか?

と、罪悪感や達成感のなさから、だんだんと情緒不安定になっていくでしょう。

で、仕事家事をすると落ち着くのです(笑)。




非常に不適切な言い方をすると、こんなに奴隷に適した民族はいないと思います。

だって、皆喜んで働くのですから。

その理由は民族の歴史からなるDNAの変化や教育の在り方など様々でしょうが、

今となっては、これはもう日本人の性(さが)としか言いようがないですね。

こういう私もコテコテの日本人なので、これはもうどうしようもないです。




とりあえず、ヨーロッパと日本ではそのような文化とDNAの違いがあるということをご理解いただきたいです。




ここからが本題です。




よく日本の熱心な介護士が認知症高齢者の介護について学ぶために、

北欧とかに行ったりしますね。

で、グループホームとかに見学に行きますね。

で、自分の名前も分からないような認知症高齢者が、

すごく穏やかな表情で好きな音楽を聴きながら、

ロッキングチェアに揺られている光景とかを見て、

カルチャーショックを受けるわけですよ。

で、「これぞ最先端の介護だ!」と開眼するわけですよ。

で、「これを日本でもやるべきだ!」と決意して帰国するわけですよ。

で、どの日本の老人も、結局そのような過ごし方をしてくれなくて

仮にしてくれたとしても、北欧で見た光景とは比べ物にならないくらい、

絵にならない」のです。

そこで、「あれ?何が違うの?」となるのです。





文化とDNAが違うのです。

それはわざわざグループホームまで行って認知症高齢者の姿を見るまでもなく、

ヨーロッパの街でうろついている若者の姿を見ても分かることです。

生き物として、価値観も考え方もライフスタイルもまるで違います。

だから、北欧直輸入ケアは、日本の老人には受け入れられないのです。




日本の老人が求めているのは、退屈な時間ではなく「役割」です。

だから、せかせかと仕事をしているときが、一番落ち着きます。

その仕事が充実感をもたらし、生きがいになります。

だから認知症になっても、

男性は出勤しようとするし、女性は家事や子育てを求めるのです。

それは、そのような重要な役割を担っていた自分が好きだからです。

自らの存在価値をそこに見出しているからです。




よって、日本人は何もできなくなった自分というものに対する失望もひときわ大きく、

時として、そのショックが認知症の引き金となります。




ヨーロッパ人は、仮に仕事ができなくなっても、

最初からそこには依存していないのでショックは小さく、

じゃあ、余生は思う存分趣味のことでもして楽しもうか、となるのです。

また、昔からボケーと過ごすことに慣れているので、

何も出来なくなってボケーとしていたとしても、

むしろその状況を余裕を持って楽しむことが出来るのです。

音楽とコーヒーだけで一日有意義に過ごせてしまいます。

日本だと、デイサービスとかでも常に何かプログラムがないと落ち着かないのに(笑)。




そう考えると、日本人は認知症になりやすいく、

なった後も情緒不安的になりやすいという厄介な民族ですね。

でも、悪いことばかりではありません。

そんな仕事命の日本人だからこそ、有効なケアの形というものがあります。

そう、大好きな仕事をしてもらうのです。

身体障害や認知症があっても、

その方の能力を生かせるような、

その方がやりがいをもって取り組んでくれそうな仕事を見つけることができれば、

認知症の心理的な問題は随分と改善するでしょう。





例えば老人ホームの中で、

そういった老人の仕事を利用して、スタッフの労働を軽減させる方法論が、

以前のブログで私が書いていた

老人の生産性向上の取り組み

であり、

少数スタッフ論のコアの部分であります。





この方法論は、老人ホーム内だけでなく、

家庭や地域においても同じように活用できます。

とくに地域においてはすさまじい効果を発揮することができます。

それらについては、またの機会に書きたいと思います。




本日の結論☆
「冒頭のタイトル、正しくは『北欧のケアを日本の老人に当てはめようとしても上手くいかないわけ』だね。」

一般的に、事故といえば転倒や表皮剥離のようなものをイメージするでしょうが、

老人ホームでもっとも多発している事故は廃用症候群です。




廃用症候群とは、「動かない」「使わない」機能がどんどん衰えていくことです。

寝たきり・座りきりで活動や刺激のない退屈な生活をしていると、

筋力は低下し、

関節は固まり、

心肺機能をはじめとする内臓の機能は低下し、

バランス感覚は失われ、

骨はもろくなり、

認知症になり、

意欲が失われ、

という症状に見舞われます。




ただ、これらの廃用症候群という名の事故が起きても、

事故報告書が書かれることはありません。

家族に謝罪することもありません。

当然、損害賠償も発生しません。

なぜか、「年だから仕方がない。」で片付けられます。

誰も責任を取らなくてもいい事故になってしまうのです。




転倒等の事故はもちろん責任問題が発生します。




だから、老人ホームの全てのスタッフは、

同じ事故なら、責任が問われない廃用症候群の方を選んでしまうのです。



転倒等の突発的な事故のリスクを恐れて、

積極的なケアを中止し

やんわりじっくりと寝たきり老人へと移行する

消極的ケアを実施します




そうならないために、

極力事故のリスクを回避しながらも

積極的なケアを実施するには、

スタッフに、

考える姿勢

分からないことは勉強する姿勢

果敢にチャレンジする姿勢

が求められます。




ということは、

廃用症候群の入居者が多い施設は

単にリスクを回避するだけで、

考えない、

勉強しない、

チャレンジしない、

ということになります。




それは、結局やる気がないということになってしまいます。

あるいは何も知らないということになってしまいます。




そして、今日も確実に、寝たきり老人が作られていきます。




このブログを100人が読んで、

99人がムカついても、

あとの1人が変わるきっかけになれば、と思っています。




☆本日の結論
「よう考えたら100人も読者はおらんかった…。」

ベッドに寝ている状態から起き上がり、ベッドサイドに腰掛ける(端座位になる)までの動きを、

入居者本人の力を使って、最終的には自力で出来るようにという目標を持って介助している施設は、

かなりケアのレベルが高いといえます。




なぜなら、

このような起床介助は、もちろん朝に行われるのですが、

多くの施設では、その時間帯のケアがお粗末だからです。




「お粗末」になってしまう理由は3つあります。

①朝の起床介助は夜勤明けの人が一人でする為。

夜勤者にとって、朝は最も忙しい時間帯です。

しかも、自分一人でしなければいけないので、心も体もいっぱいいっぱいです。

さらに、夜勤明けですから、体はフラフラで、気力・集中力も減退しています。

その状況で、「起き上がりの自立を促す」というハイレベルで手間のかかるケアをするのは難しいことなのです。




②早出が来るまでに入居者を起こしてしまわないと、というノルマがある為。

このノルマがあるかどうかは、当然各施設のシフトによってまちまちだと思いますが、

多くの施設では、そんな感じだと思います。

そもそも入居施設において、「○時までに○○を済ませること」、

みたいなルールがあること事態、多くの弊害を生み出す原因となるのですが、

多くのスタッフは、入居者よりも同僚に気を使うため、

「早出のスタッフが来るまでに、全員起こしておかないと!」という使命感を持ってしまいがちです。

となると、当然、質よりもスピードを優先した雑な介助を行うことになります。

仮に研修等で、「入居者の自立を促す正しい介助方法」を習っていたとしても、

毎回そのような雑な介助を行ううちに、それがそのスタッフの技術として定着してしまい、

常にその方法でしか介助できなくなってしまうのです。




③誰も見ていないから、①や②のようなことをしても、まかり通ってしまう為。

夜勤の仕事は基本的に一人でします。

(もちろん施設全体では複数いるでしょうが、そのエリア内では一人という意味です。)

だから、ついそのような雑な介助をしてしまったとしても、

誰もそれを注意したり指摘したりすることはありません。

ましてや起床介助は居室内での出来事ですから、

仮にもう一人スタッフがいたとしても、そのことには気が付きにくいのです。

しかも、朝早い時間帯ですから、介護主任等の指導者もまだ出勤しておらず、

かなり仕事のチェックが甘くなってしまうのです。




以上のような悪条件にも関わらず、

朝から入居者の自立を促すような介助を展開し、

その結果、起き上がりがどんどん自力で出来るようになり、

スタッフの介助量が減っていくという成果を上げている施設は、

かなりのツワモノだと言えるでしょう。

よって他のケアに関しても相当なレベルであるということが推測されます。




施設のビジョン、

情熱、

人材の質、

教育、

こだわり、

技術・知識、

チームワーク、

ケアに対する考え方、

これらの平均点がとても高い施設です。





ちなみに、

自立に向けた起き上がり介助ってなんだ?

という方は、こんなDVDもあるので、

興味のある方は、購入してご覧になってはいかがでしょうか?

知るは易し行うは難しの技術ですが、

施設入居者の自立度を上げるためには欠かせない技術だと思います。

もし介護士がこの技術を持っていなければ、

力任せにガバッ!とクルッ!と起こしてしまいます。※絵は想像してください(笑)

その結果、スタッフは腰痛になり、入居者は廃用症候群を引き起こします。



この起き上がりの動作が自立出来れば、

夜間、居室内で入居者一人でトイレに行くことが出来るようになります。

また、仮に完全に自立出来なくても、ある程度の動きが出来るようになれば、

スタッフの肉体労働は激減します。

またこの動きは入居者自身が、身体の柔軟性や筋力やバランス感覚等多くの能力を使うので、

毎日続けることで、廃用症候群になるどころか、どんどん元気になっていきます。



以上、マニア学科らしいケア論でした。



☆本日の結論
「もし全国に一人でもこのような基準で施設を選んでいる方がいれば…会いたいような会いたくないような(笑)」

私のビジョンである「考える介護」を、

出来るだけ短い言葉で説明すると、

「介護にまつわる様々な問題を、老人を元気にするという方向性で解決しようと考えること。」

ということになります。

書いてみれば普通のことだが、

この一文が中々出てこなかった。

自分の言いたいことが凝縮された文が生まれたときの快感は、

水泳の後、耳の奥にたまっていた水がジュワーと出てきたときよりもスッキリしますね。




一応解説しておきます。



「介護にまつわる様々な問題」とは、

徘徊や異食等の問題行動、

浮腫や便秘等の体調不良、

食欲不振や意欲の減退、

転倒等のリスクなどのことです。




あるいは例えば施設だったら、

夜間にナースコールが頻繁に鳴る、

抱えるのが重くて腰が痛い、

人手が足らなくて十分な介護が出来ない!等のことです。




それらの問題を、老人を今より元気にすることで解決しよう!

という考え方です。




ダメな介護というのは、安易な提案により、

老人の元気を奪ってしまう方向性で解決しようとします。

結果的に、余計に介護が大変になります





☆本日の結論
「ブログとお経は短いに越したことはない。」

志を持った新人スタッフが新たに現場に入ってきました。

さらにはその新人スタッフが、最新のビジョンと知識と理論を得て、

やる気満々の状態だったとしましょう。



例えば、老人ホームにて、

その新人スタッフが「おむつを外すことや認知症を解決するような提案」をしたとしましょう。

そのとき、先輩スタッフが、

無理ムリ、そんなこと出来ねぇよ。」

俺達だって試みたけど、ダメだったんだから。」

というような発言をする可能性はです。




その場合、普通の新人なら、

「あれだけ仕事をテキパキこなす先輩達が出来ないって言うのだから、やっぱりそれは出来ないことなんだ…。」

一瞬にして諦めてしまうでしょう。



いつもこのようにして、先輩達の低い牙城は守られるのです。




新人からみて先輩がテキパキ仕事をこなしているように見えるのは単なる錯覚で、

そんなことは3か月も経てば、「だからどうした?」という程度のスキルでしかありません。

誰が考えても、「おむつを外すことや認知症を解決するような提案」をする方がハイレベルな仕事です。




先輩達は、新人にそんなハイレベルな仕事を達成されたのでは自分たちの立場がないから、

早々と「諦めさせる」という作戦をとるのです。

そうやって、低レベルな上下関係を築こうとします。




そんな先輩の言うことを真に受けていたのでは、

せっかくの良い人材も芽が出ないままになります。




だからもし先輩が、

「無理ムリ、そんなこと出来ねぇよ。」

「俺達だって試みたけど、ダメだったんだから。」

と言ってきたら、

そんなネガティブなことを言う先輩達だったら、そりゃ無理でしょう!」

「『俺達だってダメだった』じゃなくて、『俺達だからダメだった』でしょ?」

と、心の中で突っ込みを入れつつ、

愛想笑いでもしつつ、

完全にスルーしましょう。

それがあなたの成功の秘訣その1です。




☆本日の結論
「出来ねぇ」という奴の99%は、実は「まともにやったことがない」。

老人ホームにおける「オムツ外し」について考えてみます。

このムーブメントは、おそらく20年前くらいからあったような気がしますが、

本格的に達成できている施設は、未だにほとんどないと思います。




その原因は、オムツを外さなければいけない理由が弱いからです

なぜオムツを外さなくてはいけないの?」

「オムツをしていても別に入居者は嫌がっていないけど?」

「今頃は快適なオムツが発売されているから、入居者もつらくないはず。」

「第一、入居者自身がオムツを外すことを望んでいないよ。」

という疑問及び指摘に対して、理論整然とオムツ外しの必要性を訴えることの出来る介護士は少ないでしょう。




ちなみに、どんなに最悪の施設でも、うっかり食事の提供を忘れることはありません。

なぜなら、

「どうして食事を出さないといけないの?」

とう疑問に対しては、どんな素人の介護士でもハッキリとした答えを出すことが出来るからです。




また多くの人は、オムツ外しは単に排泄面にのみフォーカスしたアプローチだと思うでしょう。

しかし、実際は全然違います。

オムツ外しはトータルで良いケアが提供できなければ達成できません。

寝たきり生活だけどオムツだけは外れた、ということは絶対にあり得ません!

一日中ボケーッと過ごしているけどオムツは外れた、というのも難しいでしょう。




イメージしてみてください。

仮に同じような状態のお年寄りが入居したとして、

A施設は1年後には全員オムツをつけて、その中に排泄しています。

B施設は1年後には全員オムツを外して、トイレで排泄しています。

さて、A・Bそれぞれの施設の入居者の状態、施設の雰囲気、そこで働くスタッフの様子はどのようなものだと推測されるでしょうか?

(次週に続く)




※用語解説「オムツ外し」

老人ホームにおける「オムツ外し」とは、入居者が普通の布パンツのみで生活することを意味します。

特養等の場合、さすがに全員というのは現実的ではないかもしれませんが、

車いすやリクライニングに座れる人は全員オムツなし!という目標は設定できると思います。

認知症の有無は関係ないです。

また、腹圧性失禁等がある方が、尿漏れ防止のため小さなパットを使用するまでは「あり」とします。

最終的には夜間もオムツなしの生活を目指しますが、とりあえず日中オムツなしで生活出来ればクリアです。




☆本日の結論
「明日からの記事を読めば、オムツ外しは簡単にできます。」




オムツ外し論(全4回)は

期間限定記事のため、

現在は公開していません。

もし、ご覧になりたい方は

メール(info@yotsubakai.or.jp)にて

「公開しろよ!コノヤロー!」とご連絡ください。

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