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元気の子

Author:元気の子
多くの介護関係者が何となく思っていることを、あたかも理論的に言語化するのが好きですが、エビデンスはほとんどないのでご了承ください。

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先日、法人内勉強会において、

「アンガ-マネジメント」をテーマに、

某介護スタッフが発表しました。




その中に、

怒りは2次感情であり、

背景には1次感情があり、




1次感情は、

不安、痛み、寂しさ、心配、落胆、傷付き

等であるとの説明がありました。




この考えはアドラー心理学が元祖であり、

主にカウンセリングの場で活用されていると思いますが、

介護や保育の現場でも大いに役立ちます。




まさに前回のブログで書いたような場面において、

利用者の怒りをこの理論に基づいて解釈するわけです。




そして、

場合によってはスタッフ間の理解にとどまらず、

リアルタイムで利用者に解釈の言葉を返してみるのです。




「帰る!」

とやや興奮気味に言う利用者に対して、

「帰りたいんですね」

という共感的理解を返すのも、

まあまあのレベルですが、




(多くのスタッフは、

いきなり帰れない説明を始めるか、

いきなり気を逸らす方向に持っていこうとするので…)




「やはりおうちの奥さんのことが心配なんですね」

「腰の痛みが増してきましたか?」

等、背景にある1次感情を言語化して

共感的理解を試みるのはかなりのレベルです。




かなりのレベルと書いたのは、

単に知性が求められるだけではなく、

ハイリスクでもあるからです。




特に、

怒りがAというスタッフに向かっている場合に、

Aがその解釈をしてしまうのは危険極まりない試みであり、

対立構造をさらに深める確立が高いです。




また、

解釈の内容が

触れてほしくないその方の弱さに結びつくようなものであれば、

到底受け入れは困難であり、

さらに興奮は増すでしょう。




よって、

解釈の内容は、

その方のプライドが損なわれない、

むしろプライドがくすぐられるようなもの

がベターです。




そういった内容であれば、

本来の感情と異なっていても有効かもしれません。




ただ、

好奇心旺盛なベテラン介護士ならば、

明らかに対決の構造になり、

相手がさらに興奮することを承知で、

思い切って核心にせまってみるのも面白いと思います。




もしかしたら、

その利用者の新しい世界が垣間見えるかも、

あるいは、2人の間に新たな関係が生まれるかも

しれません。




対応に行き詰ったケースにおいて、

一か八かの策としてご検討ください。




☆本日の結論
「実践は自己責任で。」

特養では、

食堂などで

あたかも入居者が放置されているような

状態になっていることは

決して珍しくありません。




要介護度が高く、

主体的に話したり行動したりといったことが

困難な方が多ければ、

そして、スタッフの人員が限られていれば、

これはある意味仕方のないことでもあります。




また、

さすがに最近では

あからさまに身体拘束をしている施設は稀でしょうが、




立ち上がると即転倒といったリスクの高い方に対しては、

常にスタッフが側にいるわけにもいかず、

ついつい身体拘束の発想が生まれても

不思議ではないです。




ここで重要ななのは、

放置にしろ拘束にしろ、

その結果よりも、スタッフの姿勢だと思います。




つまり、




日々そういった利用者に対しても

謙虚で共感的な姿勢でいることができれば、

さほど問題視すべきではないかもしれないが、




その状況を当たり前のように捉えており、

何の違和感も抱いていないようであれば、

問題視すべき

ということです。




これは家族の心境になれば良く分かると思います。




仮に身体拘束されていたとしても、

個々のスタッフから、

「本当に申し訳ないと思います。

なにか良い方法がないかいつも模索しているんですが…」

という姿勢が滲み出ていれば、

不満を抱きにくいのではないでしょうか?




ところが、

「身体拘束していますが、何か?」

のような態度であれば、

非常に不快ですよね。





さて、




残念ながら、

多くの場合、

後者のようになってしまっているのです。




そしてそれには、

心理的な根拠がございます。




続く。




☆本日の結論
「よく『感覚の麻痺』と言うが、少し違った角度で説明します。」

前回の続きです。




特養等にて、

入居者を放置状態にしたり、

身体拘束をしたりした時、

そこの介護スタッフが

それを平然と当たり前に感じているかのような

振る舞いをしてしまう理由ですね。




今回はその理由を

精神分析の理論で考えてみます。




多くの人は、

介護スタッフのこのような状況を、

感覚のマヒとか異常な人格で

説明しようとします。




これは性悪説的考えであり、

介護スタッフはお年寄りの存在を軽く考えている

誠実さや優しさに欠けたひどい人たちだ

という前提です。




しかし、

いかにも優しそうで共感性も高そうな介護スタッフが

同様な状況になってしまっているのを

私たちはよく経験しています。




とすれば、




むしろそれは逆であり、




目の前の入居者に対して申し訳ない

という罪悪感を強く抱いているからこそ、

その罪悪感に自分が潰されてしまわれないように

自己防衛している、

すなわち防衛機制が働いている

という見方を持っているのが

精神分析理論です。





防衛機制には、

適応性の高いもの(大人っぽいもの)から

低いもの(子どもっぽいもの)まであり、

その種類は様々です。




今回のケースに適用可能なもので、

適応性の高い順に並べると、

・知性化

・合理化

・否認

・投影

といったところでしょうか。




「知性化」は、

専門知識・用語でもって、

その状況を正当化するものです。

自分自身が納得するだけでなく、

他者を説得することでより安心感を得ます。

身体拘束のケースでは、

看護スタッフが用いるかもしれません。




「合理化」は、

むしろ入居者にとっては、

その方がハッピーなんだという

理論を形成することで、

自分が納得するわけです。

介護スタッフが

自分の無力感を合理化するのです。




このあたりから、

徐々に適応が低くなります。

つまり以下のような防衛機制を用いるスタッフが多いと、

運営がしんどくなるのです。




「否認」は、

あたかもその事実が存在しないかのように

振る舞うことです。

いわゆる見て見ぬ振りというやつです。

無意識的にその情報を遮断するのですから、

問題意識も生まれません。

感覚の麻痺に近いのはコレかも知れませんね。




「投影」は、

自分の悪い側面を他者の中に見出して、

その他者を責めるという心理であり行為です。

今回のケースであれば、

「入居者はこんな目に合っても仕方がない」

という自分の中のダークな考えを、

介護リーダーや施設運営者に投影し、

「こんな環境では入居者が可哀そうだ!」

「ひどい施設だ!」

「そこで働いている私たちも被害者だ!」

と訴えるわけです。




もちろん、

その現場は「闘争 - 逃避」の様相となりますね。








身体拘束に対して、

看護師が知性化で承認し、

介護リーダーが合理化で追随し、

介護スタッフが否認し続ける中、




とある家族に

「身体拘束してても当たり前みないな顔を

職員がしているのを見るととっても不愉快だわ!」

と言われ、

現実に直面してしまうと

どうなるか?




「は!?」と我にかえって、

あらためて罪悪感を抱きつつ

前向きに対処方法を考えるのは

優れたチーム。




やはり罪悪感を避けるがために、

自分たちの悪い面を管理者に向けて投影し、

「上司の指示で身体拘束なんてやらされて、

なんで私たちが家族に文句いわれないといけないの」

と不満を口にするのは

幼いチーム

ということですね。




こういった人たちでも、

罪悪感を抱いているからこそ

というのが救いのような気もします。




おしまい。




☆本日の結論
「罪悪感を全く抱かないのはサイコパス。」

今日は、

このブログの読者様にご愛顧を込めて、

とても良い取り組みを提案します。




中でも特養やGH、小規模多機能の方は必見です。




さて、

ケース検討会を実施している組織は

ちょいちょいあると思います。




これ、

小さな法人以外であれば、

実施する際は、

できるだけ大きな枠組みがお勧めです。

要は複数の事業所、多様な職種で。




参加者が多様で大人数になるほど、

プレッシャーがかかり、

準備が周到になりますから。




でもって、

その準備こそが学びとなり、

明日のケアの改善になりますから。




大勢の前で、

そのケアをしている根拠、

あるいはケアの過程を説明したり、

詳細な生活歴を述べたり、

日頃は焦点を当てづらい利用者の思いを考えたり、

さらには様々な職種から様々な視点で意見や質問を受ける。




これはもう、

大変に勉強になるのです。




で、




多くの発表者が、

「今回の機に様々なことを調べまとめたことで、

この利用者のことをかなり理解することができた。

本来であれば他の全ての利用者もこのように

理解する必要があると思う。」

と感想を述べます。




逆に言えば、

日頃のケアがいかに薄っぺらいものだったか

ということを痛感するようです。




そこで!




次回10/21(期間限定記事)に続く。




☆本日の結論
「10/22までの限定だよ。」

ストレングス

10/21の期間限定記事は閉じました。

読みたくて気が狂いそうだ!という方は、

例によってメールで連絡ください。




さて、

最近、ストレングスについて

少し学ぶ機会がありました。




ストレングスとは、

個人の持っている強みのことです。




この強みを上手く生かすこと、

あるいはその強みがあるがために発生するリスクを

コントロールすることで、

より適応的に生きていくことができるのです。

詳しくは→コチラから




人材育成の面でもかなり役立ちますね。




ところで、

人材育成と異なり、

我々福祉・介護業界において

臨床的場面でこのストレングスを扱うとなると、

非常に難解なものととなります。




なぜなら、

そもそもそういった場面では、

ストレングスが適応的に顕在化されている人は

対象にならないからです。




ストレングスが埋もれてしまっている人、

あるいは不適応な形で顕在化されている人

が対象ですね。

だからこそ、困っているわけだし、

だからこそ、我々の援助を必要とするわけですね。




なので、




強みどころか、

一見弱みだらけのクライエントの中から、

いかにしてストレングスを見出すか

という課題なわけです。




例えば、

学校や職場で嫌なことがあったら、

すぐに不登校になったり仕事を辞めたり、

という人。




おいおい少しは頑張れよ!

と言いたくなりますね。




問題からすぐに逃げる奴だ

と思いますね。




でも、

そもそものストレス耐性が弱い人なら、

すぐに逃げた方が良いのです。




そこで無理して頑張ると、

最近の例の事件みたいになりかねませんからね。




なので、

この人は、

・自分(のストレス耐性)を知っている。

・回避という対処方法を会得している。

と評価することもできるのです。




これがストレングスを見出す作業です。




ケース検討会でよく出るいわゆる問題ケースでは、

アチャーっていう生活歴の人が

登場しますよね。




そこで、

あらためて問題をあげつらうのではなく、

一度ストレングス視点で、

再アセスメントしてみてはいかがでしょうか?




今までとは全く違ったアプローチを

思いつくかもしれませんよ。




おしまい。




☆本日の結論
「ストッキングのレングス、の略語ではございません。」

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